ここは プルシェンコ こと プル様 こと 銀盤の皇帝 こと 宇宙人 こと ジェーニャ を知ったつもりになれるかもしれないページです。 面白おかしく書いている部分があります。

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EvgeniPlushenko (エフゲニー・プルシェンコ)

愛称:ジェーニャ

1982年11月3日生れ 身長178 cm 体重69 .5kg

フィギュアスケート選手(男子シングル)
トリノオリンピック男子シングル、ソチオリンピック団体 金メダル
ソルトレイクシティ男子シングル、バンクーバー男子シングル銀メダル
世界選手権優勝3回
欧州選手権優勝7回
GPファイナル優勝4回
ロシア選手権10回連続優勝
GPシリーズロシア杯8連続優勝
(GPシリーズ通算22勝)
ロシア連邦功労スポーツマスター。

新、旧両方の採点でオリンピックメダルを手に入れた唯一の男子フィギュアスケート選手。
 

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オリンピックメダルだけでこうなる。

ソビエトシステムの最後の遺産

色々最年少。色々な技をはじめてやった選手。色々最多。



競技だけじゃなくてエキシビジョンも持って行く。

sex bombという肉襦袢を着る持ちネタがある。
世界一スケートの上手い芸人と言われるのは大部分このプログラムせい。
客席乱入、謎演出、赤ちゃんプレイ、女性スケーターと、嫁と、など色々なパターンがある。
ふつうのセッボと別ver.を先に見て、赤ちゃんと嫁は後回しに見る事を勧める。
セッボの破壊力に慣れた頃に別の破壊力が襲ってくること請け合い。

女装してるプログラムもある。
色々驚く事請け合い。
謎の世界観。哲学とも言われる。シュールリアリズムかもよ。

着ぐるみもやってる。
客をいじりもお手の物。


競技では芸術点オール6.0(満点)も叩き出せる。
それが伝説の「ニジンスキーに捧ぐ」

宇宙人と言われる一つの要因として432とか433とかのコンビネーションで跳ぶ、軸がブレまくっても着地するがある。
意地でも転ばない。根性で転ばない。重力仕事しろ。などと言われている。
本人は天使が支えてくれてるような感じだとかなんとか言っていて、本人にも良く解かってない。

これが宇宙じn・・・じゃなくてMJメドレーやった時の衣装。
ちなみにこれはエキシじゃなくて公式戦。
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プルシェンコが転ぶと実況が驚く。
実は転んでいるのだが、公式試合でほぼ転ばない、転ぶはずなのに転ばない、すぐ立て直すため転んでないイメージが強いっぽい。



貧しい家に育ち、スケートの為に11歳で親元を離れ、少ない仕送りで劣悪な環境の中1人で暮らしたり、酷いいじめを受けていたりと明るい性格からは想像もできないくらい苦労人。

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運動神経は良かったが、虚弱体質で体質改善のため4歳でフィギュアスケートとロシア民族舞踊を習い始めた。 体が鍛えられたら授業中も座って居られない落ち着きのない子になった。


トロリーバス3駅で具合が悪くなったとの話もあるので三半規管も弱かったようだが、お母さんは吐くまで息子を回転台で回したり、ビールマンをやれるようになるため痛い痛い言ってる息子をストレッチさせたりと結構なスパルタ。

でもそんなママのおかげで男性シニア公式戦でビールマンをやる初の選手に。
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そんなママだが11歳で1人暮らしの時はスケート辞めさせようとした。
ソチ出場(障害が残る危険性があった)の時もとめようとした。

子供の頃あまり怒る事がなかった。(ママ談)
いい子だったからっぽいニュアンスだが授業中に落ち着きがないのはいいんだね。
だから大人になっても落ち着きがないんだね。

そんな魅力的な選手を育てたママ
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3Aは得意な方ではなかったが小さい頃から人一倍努力して跳べるようになった。
ローティーンくらいで様々なジャンプを習得。



15の時、補欠ででた世界選手権で初登場3位(最年少記録)
数年後にロボットだとか宇宙人だとか言われる選手になる。
一家の大黒柱になったのも15、6。

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一家の大黒柱(17) 1999 NHK杯優勝時

1999~2001は割と無双だった。
プルシェンコvsヤグディンで凄まじい時代だった。

銀だと負け、不調扱いされだす。
本人も大いに不服なのを隠さない。
銀の表彰式ではリンクの温度を下げる。
特にオリンピック、元兄弟子でライバルのヤグディン1位で2位の表彰式はブリザードが起こった。

上記のソルトレイクシティオリンピックではショート冒頭の4回転で転んでしてしまい
当時は転んだらどんなに頑張っても1位は不可能だったため
フリーは「やけくそカルメン」と言われている。
練習で足を怪我していたが超高難易度のジャンプで追い上げ、2位を死守。
鬼気迫る勢いで演じ、怒涛のごとく跳ぶ。物凄い熱量の演技、それが「やけくそカルメン」
足は悪化した。



2002~2006も結構無双だった。
でも2003年グランプリファイナルで当時2回までと決められていたコンビネーションジャンプを3回飛び制限違反でまさかの準優勝。
この辺から故障に悩まされ続け、トレードマークだったビールマンスピンを含むスピンは封印された。

でも2006年のトリノオリンピックは大差で金メダルを獲得。
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トリノ後、競技には出場せず休養。アイスショーで稼ぐ。
いっぱい手術した。あと議員もやった。離婚もした。
(2005-2008年の結婚生活だったが実は最初の数カ月で破綻)



首から下はボロボロと言われてる。

努力に体が追いつかないのか、幼いころから鞭打っていたせいか
少なくとも12回以上手術を繰り返している。

鼠径ヘルニア手術
アキレス腱付近ののう胞を注射針で抜く
半月板切除手術(半月板だけで少なくとも2回は手術してる)
脊椎の神経を特殊な針で焼く
背骨にカテーテルを通して神経を焼く
潰れた腰椎の椎間板を人工の代替品と取り替える
人工椎間板のボトルが折れ、摘出
首のヘルニア手術←2016NEW



2009年再婚、復帰。
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プルシェンコと姉さん女房のヤナ

奥さんの2人の連れ子とモデルもやってる実の子(現在3歳)と仲むつまじく暮らしてる。
上の子たちとはゲームやサッカーをしている姿が見られる。末っ子にはよくちゅっちゅしてる。
みんなスポーツをやっていて家族で筋トレしてる。

両方再婚だがロシアは離婚率50%なのであちらでは珍しくないかも。
むしろ7年以上たって今もラブラブなジェーニャとヤナ夫婦のが珍しいのかも。
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ニッコリキッチリしてる家族写真よりこういう方が仲いい感じがする。

奥さんは実業家で音楽プロデュサー、自身も芸能活動している。
夫のプロデュースも全部やる。
嫁の希望で競技復活した。スポンサーも嫁が獲得した。


みなさんご存じ首から下がボロボロだけどがんばった。憤るくらい痛かったけど頑張った。
引退しようかと思うくらい悪化したけど頑張った。

その成果か封印していたスピン復活。
ドーナツスピンとハーフビールマンを演技に取り入れる。


このあたりで「3年間がんばってきた選手たちに勝ててうれしい」って言って深くは知らない日本人に「うわ~w」ってなられる。
みんな4回転頑張ってるのにあっさり決めちゃう、とか。
実は手術後、動けなくなっててほぼ引退状態で太って、2Aしか跳べないとか、デブとか言われてた。
日本では はんぺん と言われている。
みんなみたいに練習出来なかったけど勝ててうれしい的な意味がこもっているかもしれない。
または死ぬほど努力して見返してやったぜ!


そんな中、バンクーバーオリンピックでは惜しくも銀。金とたった1.31点差。
出場選手中、4回転トウループ-3回転トウループを唯一成功させ、その他も成功またはレベル3以上だったため。(9人中3人が極端に低い点数を付た疑惑とか、表現か技術かとか)もめる。

ジェーニャの浮かない表情をご覧ください。
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「ジェーニャちゃんかわいそう!ジェーニャちゃんのメダルは銀じゃない、プラチナだょ。。。」 みたいになる。(妄想込)



まさかのソチも出た。
団体で金とったけど個人は棄権した。折れないって言われたボトル折れるくらい頑張った。

マジやばい状態だったからもう滑れないかと思ったけど、術後の経過が思ったよりよくて平昌イケる気がしてきた。



神経が圧迫されて手が動かなくなって首も手術した。
川o゜_ゝ゜<マダ ピョンヤン アキラメテナイヨ! 今ここ。



「自分が天才だと思いません。努力の価値を知っている普通の人間です。」

「勝利した後、僕が人間ではないように思われているのにとても当惑しています。
僕は機械ではありません。
僕の胸にはエンジンではなく心臓が脈打ち、血管にはオイルではなく血が通っている。
痛みも疲労も知っている。普通の人間なんです
だから僕はこれからも勝つために、努力を続けていきます。」

エフゲニー・プルシェンコ